畑を借りることになった。半日陰の畑でやりたいこと。
畑を再び借りることができました。
出産前に借りていた祖母の畑の一部をまた、借りられるようになりました。 2年前に借りていた場所と同じところです。
祖母の畑の10分の1くらいの場所をこれからずっと使っていいという約束だったはずが、たったの1年3ヶ月で返すように言われたのが、2年前。
土壌改善するためにそら豆と小麦をまいて、育てて、土が前よりふかっとしていたのにー。(泣) 次は大好きな枝豆の種を蒔こう。そう思っていた矢先の出来事でした。
私が畑をやっているのを見た祖母には散々嫌味を言われてきたので、もう疲れ果てていたのもあり、もう2度と畑を借りたいと言いませんでした。祖母はたぶん、自分の居場所が奪われるようで、怖かったのだと思います。
ところが先月、何を思ったのか父が急に 「畑、また借りれるように頼んでみろよ。あの場所、2年も使ってないぞ。」 と言いだしました。
「使ってなかったのに貸してくれなかったんかーい!」 と思いつつ、震え上がりながら祖母に頼んでみると。
なんと、貸してもらえることに!足が痛いからか、遠い畑まで行く元気が、ここ数年でなくなったようです。
私が震える後ろから、父の声がしました。
「お前は俺と半分こで畑を使うんだぞ。」
あぁ、そういうことね。父も畑を借りたかったけれど、祖母が怖くて頼めなくて、私に言わせたのね。 ええ、いいです、十分です。
また「畑、返せ!」と言われるのを恐れつつ、もし言われたらひ孫に会わせないぞ!と心の中で息子を人質にするようなことを考えつつ。(笑) また、畑ができることに、喜び打ちひしがれています。
借りることになった畑の特徴
家から少し離れた山の登り口にある、その畑。特徴はこんな感じです。
面積は、測っていないけれどたぶん50平方メートルくらい。(今度測ってみます)
熊や猪、猿、あらゆる鳥がいる。毎年、猪に食べられる。
大きな栗の木の下にあり、山もあるので半日陰。私が借りたうちの4分の1くらいは、日当たりがいい。あとはほぼ日陰。
無農薬、堆肥ありで2年前まで使っていた。
もともと田んぼのため、水路が近くにあり、湿地という感じ。水はけは悪くないと思う。
石がゴロゴロたくさんある。大きな石から小さな石まで。
生えている野草、雑草は、セリ、へびいちご(畝の周り)、クローバー。 畝には、ハキダメギク、ツユクサ、スギナ、タデ、ハコベ(4年前よりなぜかだいぶ減っていた)。
家の畑では、日当たりのせいで一番作物が育ちにくい畑のようです。父と半分こ。しかも日当たりのいい場所は、父が使っています。 とはいえ、2年前にその畑は、私が蒔いた小麦を立派に育ててくれました。(半分くらいは猪に食べられてしまいましたが。)
やりたいと思っている農業のかたち
ずっと、自然農に興味がありました。
以前に畑を借りていたとき、少しの期間でしたが、たしかに土は変わりました。なんというか、ほわっとしました。 そういう、土の変わる様子、生える雑草が変わっていく様子を見るのが好きなんです。じゃあもう、自然農法が一番合っているな、と。
自然農・栽培の手引き いのちの営み、田畑の営み /南方新社/鏡山悦子 | ||||
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この自然農の本。畑がないときもずっと、手放せずに読んでいました。
猪が来る原因としては、今までに生ごみなどで作っていた堆肥のにおい(米ぬかも混ざっています)も関係しているのかな、と思っています。
すぐ隣で父がサツマイモやカボチャやじゃがいもなど猪の好物と言われているものを植えているので、そのにおいが猪に届けば、来るのでしょうが。
そういう、動物たちとの付き合い方も、考えていかなきゃいけないなと思っています。
あと考えていることは、
いつ動物たちに食べられてもいいように、あまりお金をかけずにやる(おこづかいの範囲内でやる)
固定種、在来種を育てて、種取りをする
です。
とりあえずいろいろとまいてみたので、またレポートできたら、と思っています。
1歳児を育児中の主婦でもできる自給自足について考えてみた。
子供が生まれる前に、3〜4月にしていた、自給自足。
3月上旬
雪解け後を狙って山に登り、芽が出る前の藤蔓を採取、カゴを編む(5月のタケノコ採りに使います)
こんな感じです。 肩にかける紐は、着なくなった服をファブリックロープにして作りました。
3月中旬
暖かい場所から順番に出てくるふきのとうを採る。蕗味噌を作る。
畑、ジャガイモの芽だし。
3月下旬から4月
わらび、こごみ、葉わさび、カラスノエンドウ、アズキ菜、野萱草 (のかんぞう)などの山菜採り。(主に山の中)
そして一番楽しみなヨモギ。ヨモギのスコーンやシフォンケーキを作ったり、ヨモギが大きくなれば草木染めをする。
畑、ネギの種まき。
4月
畑、山芋と芽出ししていたジャガイモを植える。
えんどう豆の芽が育った頃に、ポットから畑に植え替え。
4月下旬
山の竹やぶに入ってタケノコ採り。
上記の中で、子供が生まれてからも続けられる、自給自足。
こどもと一緒にはできないこと。
山へ登って藤蔓採取、タケノコ採り、山菜採り。
山は獣道しかないので、1歳児を連れては登れません。畑作業
出産ギリギリまで畑をしていましたが、出産を機に、祖母から借りていた畑(1aと3坪ほどの広さ)を全て返しました。 祖母は、一部だけであったとしても畑を貸すことを良くは思っていなかったようなので、今後は借りるつもりはありません。(居場所を奪われたようで悲しかったのだと思います。) もし今後やるとすれば、祖母の手伝い、という形でやります。 問題は、うちの畑が崖にあることです。5m下が川沿いの岩で、柵も何もないため、子供を畑へ連れて行くのは、常に手をつなげないのなら危ないのでやめています。
こどもと一緒にできる自給自足。
- 安全なところに生えている山菜を採る。 ふきのとう、カラスノエンドウ、ヨモギ、アズキ菜、野萱草は、庭に生えるので、子供を連れて行くことができます。
なんと、できることはこれだけのようです。
では、どうするか。 新しい自給自足の形、を考えてみる必要があるのかもしれません。
そもそも自給自足の定義はなんだろう。
自給自足とは。
自給自足(じきゅうじそく)とは、自らの生活に必要な物資を自らの生産によって手に入れる生活のあり方のことである。 自給自足では、食料や衣料、住居などを自分自身で生産または製作して生活する。現代社会では完全な自給自足は困難であるが、部分的なものとして食糧生産を試みる人々が増えている。(Wikipediaより)
なるほど。私は今まで、「食料を調達すること、道具を作ること」しか、やってきませんでした。 衣料や住居などを生産することも、自給自足なんですよね。
1歳児を育児中の主婦にできる自給自足とは。
衣料をつくる。
衣料を作る、と言っても、どこからやるのかによって、自給自足の度合いは違ってきます。 レベル別に表してみました。
難易度別、衣料をつくるプロセス
レベル1 買ってきた毛糸や生地を使って、編んだり縫ったりする。
レベル2 買ってきた羊毛や綿を使って自分で糸を紡ぎ、編んだり、織ったりして布を作るところから始める。
レベル3 自分で育てた羊の毛を刈ったり、綿を育てて糸を紡ぐ。
レベル3は、今の生活環境ではできません。となると、進めるのはレベル2までです。
きっと多くの人は、レベル1よりも先には、進もうとはしないかもしれません。すごく大変そう、でもすごく面白そうです。
さっそく編み物の練習と糸紡ぎ、始めました。
糸紡ぎ、ネットで見たのですがやり方がよくわからずに、この本を買いました。写真がたくさんあり、やり方もわかりやすかったですし、この材質とこの材質を混ぜ合わせるとこんな糸ができるのかー、など、眺めているだけでも楽しかったです。
ブログをいったんやめてリセットできた、混乱していた自分。
更新がしばらく空いてしまいました。 自分も含めた家の3世代家族が立て続けにインフルエンザにかかり、思うところもあって、そのままになっていました。(汗) またブログを更新していきたいと思っています。
ブログを更新しない間、ブログについて考えてみた。
このラッコの写真は、水族館に行った家族から送られてきたものを加工しました。 頭を抱えて飛んでいる様子が、悩んでいる自分のようで笑ってしまいました。
今思えば、ブログを毎日書いていた頃は、アフィリエイトの本を読んでみたり、グーグルアドセンスの審査に受かろうとして躍起になったりして(結局は諦めました)、1日じゅうブログのことばかり考えていました。
もともとこのブログを始めたのは、 「自分がミニマリストになるまでに知りたかったことや、自給自足をしていた時に、調べても情報が出てこなくて困ったことを書いていきたい。できれば家族でファミレスに行けるくらいのちょっとしたお小遣いも欲しい。」 そうおもって始めたはずが、いつのまにか「評価されたい」「グーグルさんに評価されたい(アドセンス審査に受かりたい)」 そんなふうになってしまいました。
グーグルアドセンスの審査に落ちまくって、「あなたはだめですよ」と言われているような気に、なってしまったのだと思います。
あんなにつくのが楽しみで嬉しかったはてなスターを外してしまったことにより、 「あれ?なんか自分はおかしいぞ?」と思い始め、ブログも止まってしまいました。
はてなスターをつけてくださっていた方々、ほんとうにすみませんでした。
ブログに費やす時間がなくなった間、ひたすら自給自足をしていた。
ブログを休んでいる間。子育てをしつつブログのことで頭がいっぱいになっていた私は、子供が寝た後の自由時間を持て余しました。
結局何をやっていたかというと、主に編み物、糸紡ぎをしていました。
お揃いのニット帽を編んでみたり。
靴下を編んだりしていました。
ブログを始めてからというもの、まったく自給自足をする時間がとれずにいました。 だいぶやんちゃな1歳児男子の育児中なので、今は家の中でできる、または一緒にできる自給自足がメインになります。
編み物と糸紡ぎのことは書くととても長くなりそうなので、また別の記事に書こうと思います。
自分を見失いそうになったら、しばらく距離を置いてみることが大切。
ブログを2ヶ月間やめてみたことで、自給自足を発信したかったのに、ブログを書くことに時間を取られて自給自足ができず、本末転倒になっていた自分をいったん、リセットすることができました。
これからは自分のペースで、書きたいことを書いていこうと思っています。 またよろしくお願いします。
ブログを休んでいた間に自分が何をしたいか、この本を何度も読んでひたすらノートに書き出していました。 自分を見失ったな、と思ったときにかならず読む本です。
1月は、替えにくかったものを新しく取り換えるチャンス。新年早々取り替えたものと、新調した理由。
メガネ
メガネは、皆さんが必要としているわけではないですが、必要な人にとって、替え時のわからないものの1つではないでしょうか。
メガネの替え時
なおせないくらいに歪んでしまった。
ネジなどの部品がどこかへ行ってしまった。
上記2つは、避けて通れないメガネの替え時です。
大阪に行くと、壊れたメガネを絆創膏やセロテープで修復して使っている人をよく見かけます。私は大阪に住んでいる知り合いが多いので、よく見かけます。個人的には、そういう人は大好きです。
でも、これ以上目も悪くなりたくないですし、子供がいてメガネをおもちゃにされる可能性がある以上は、壊れたままのメガネは危ないので使いません。
そして意外と気付きにくい、メガネを替える理由がこれです。
- なんだか度が合わない気がする。
今回、私がメガネを手放した理由もこれです。度が極端に合わなければわかるのですが、違和感がある程度なので、気付きにくいです。
私は勝手な思い込みで、「大人になったら視力は変わらない。」と思い込んでいました。
多分小さい時から、「子供は目が悪くなるから、暗いところで本を読んだりゲームしちゃだめ。お父さんはもう悪くならないからいいけど。」などと言われ続けていたからだと思います。(今思えば、単なる子供っぽい父の言い訳でした)。
今回の私の場合、出産で体質が変わったのか、どうやら目が良くなったようで、以前のメガネをつけるとめまいがするようになってしまったので、新しくメガネを作り直しました。(やっぱり目が良くなっていたみたいです。)
前のメガネもまだ綺麗だったのでしばらくとっておいたのですが、いつも出かける時に度のきついメガネを手にとってかけてしまい、気持ち悪くなって外すという無駄な動作の原因になっていることに気づいたので、まだきれいですが手放すことにしました。
パジャマ
以前のブログにも書いた「パジャマの捨て時はいつ?」ということ。
体に馴染んだパジャマというのは、捨てにくいものの1つです。私は着心地の良いものが好きなので、見た目がかなり劣化していても、ついつい着続けてしまうことが多いです。自分のパジャマがとうの昔に捨て時を過ぎていたことに気づいてはいたので、新年にかこつけて断捨離することにしました。
パジャマの断捨離を踏み切れなかった時にちょうど、いつもパジャマを始めよく服を買っているブランドが、パジャマと肌着の福袋を売っているのを発見しました。そして人生初の福袋を購入しました。
福袋、といっても、パジャマのズボンが2枚とレギンス2枚に、何かプラス1枚入っていることがあらかじめわかった上での福袋なので、特に冒険というわけではありませんが。
結果、この福袋にはババシャツも入っていて、肌着もパジャマも新調することができました。
肌着
肌着も直接肌に着ることもあって、体に馴染むほどに捨てにくいものの1つです。
さらに肌着の場合、パジャマよりも厄介なのが、誰かに見られることが少ないうえに、鏡に映った自分の肌着も見えないため、劣化具合に気付きにくい、ということです。
だいたい肌着はいつも、新年か夏の終わりに新調します。半年に1度です。もちろん、その前に劣化していれば買い換えてもいいのですが、ずぼらな私は肌着も「まだ着られるわ」なんて思ってしまうので、半年に1度という新調する時期を決めて、総入れ替えするようにしています。
スリッパと歯ブラシ
トイレのスリッパも、廊下を歩くスリッパも、新調しました。新年のキンと冷えた廊下を歩く時に、新しいスリッパを履くと、なんだか自分まで新しくなったような気になります。
ずっと家にいる私と、仕事をしている夫。台所に立つ私と、部屋で過ごすことが多い夫。スリッパの劣化具合は全然違います。それでも新年だけは、2人揃ってスリッパと歯ブラシを交換すると、なんだか気持ちがすっきりします。
まとめ。
私の母は、とてもしっかりもので、臭いものは嗅ぎ回って探して、ぴかぴかに磨いてしまいます。それは母自身のものだけではなく、家族全員のものに対してもそうです。そんな母の元で育ったので、「私が取り替えなくても母が替えてくれるだろう。」という甘え根性丸出しのまま、長年生きてきてしまいました。
さらに私の性格は、ずぼらで、臭いものには蓋をしてしまうようなタイプです。そしてケチです。「あ、そろそろ替え時かなぁ、でも今はめんどくさいしもったいないから、また今度にしよーっと。」こうやって、取り替え時のものを先延ばしにしてしまいます。
そして夫は、臭いものに気付かないタイプです。よく言えばおおらかです。「え?臭い?そうかなぁ?」という感じです。
こんな夫婦が暮らしていると、どこかでこのしわ寄せがやってきます。どちらかが、しっかり家のものを管理していないといけません。今は共働きではなく、家のことを私がやっているので、うちの場合は妻である私が管理することになっています。でも私の性格では、入れ替えの時期を決めてしまって意識的に管理をしていないと、家の中がどんどん荒んでいきます。意識的に管理する時期に、新年は格好のチャンスです。
年末は、大掃除をするということもあり、家の中をくまなく見渡すことができます。
まだ、新年は始まったばかりです。もう1度家の中を見渡して、新しく取り替えられるものがないか、ご覧になってみてはいかがでしょうか。
年末の大掃除のついでに手放してスッキリしたものリスト。
年末の大掃除は、普段気づかない必要のないものが見えやすくなる。
我が家でも、年末の大掃除をしました。普段は使用頻度の低い場所(押入れの中や季節限定で使うものがしまってある場所)なども掃除するため、必要のないものは定期的に手放していたつもりでも、数ヶ月前まで使っていたけれどもう必要のないものなど、いくつか出てきました。
これが当てはまったら手放す候補に入れる、チェックリスト。
ほこりをかぶっているもの。
使っているつもりだったのに、ほこりをかぶっているものがあれば、必要のないもの候補です。ほこりをかぶるほど使っていないものの中に、季節ものもあるので、一概には言えません。ちょっとズボラな人なら夏の扇風機を出しっぱなしにしていて、そのままほこりがうっすらと、なんてこともありえます。(すみません私です)
そういう季節ものを抜きにして、通年使うようなものにほこりがかぶっていれば、手放す候補にいれてみます。
重要なのは、ホコリをかぶるほど使っていなかった、ということよりも、ほこりをかぶっても払ってあげなかったことです。 愛着がない、またはこれから大切に持ち続けることができない、という可能性があるからです。
1年間、触らなかったもの
上記の「ホコリをかぶるもの」はわかりやすいのですが、意外と自覚もなく使っていないものを持っている時が多いです。
私の場合、注意して見るのは、ずばり本棚です。普段はガラス戸があるので、ホコリをかぶることはありません。
1冊1冊取り出してみて、「あーこの本はこの1年間、1度も見なかったな。」そんな本が結構あります。
もしもそれが実用書などで、今は使わないけれど近い将来に読むと言い切れるのならば、もう1度本棚に戻します。でも、そんな本ばかりではなく、きっと買った頃よりも色あせて見える、もう興味の薄れたような、今の自分にはしっくりこないような本があるはずです。そのようなものは手放します。
愛着が執着になりつつあるもの。
使わないけれどなんとなく捨てられないものがあります。愛着があるような、取っておきたいようなものです。私もミニマリストとか言っておきながら、自分の部屋で見つけてしまいました。 これはちょっとわかりにくいので、例を出します。
今年の冬に、私と夫はお揃いのパーカーを部屋着に買っていました。最初からお揃いにしようとしたわけではなく、私が着ていたパーカーを見て夫もこんな感じのが欲しいと言って、かぶっても気にしないから買えば?と私がいうと、夫が同じパーカーをあとになって買いました。
結果お揃いの服になったわけですが、私は毎日このパーカーを洗ってはすぐに着てを繰り返しているのに対して、夫は週に1度くらいしか着ていません。すると、当たり前のことですが私のパーカーだけ先に捨てどきが来てしまいました。
「お揃いで買ったわけじゃない、けれどなんとなく捨てられないな・・・。」そう思って、穴があくまで着ていました。とうとう穴が空いたのですが、それでも「夫はまだとっておくらしいからなぁ。」と、パジャマにして着ていました。
ここまで考えて、 自分が「捨てたくない」ではなく、「捨てられない」と思っていることに気がつきました。
これが、愛着と執着の違いです。「捨てたくない」は愛着、「捨てられない」は執着です。
もしも愛着があって捨てられないと思っているものがあれば、
「(大切だから)捨てたくない」のか、「(誰かにもらったから)(もったいないから)(まだ使えるから)捨てられない」のか、口に出して言ってみると、わかります。
代わりを買ったもの。
うちにもありました、必要のない家電。
今年の冬に、肌が弱い家族のために加湿器を購入しました。その後、家族がアレルギーだったとわかり、空気清浄機を購入しました。
すると、空気清浄機には加湿機能も付いているのですね。加湿器がいらなくなってしまいました。
こちらの空気清浄機を購入しました。赤ちゃんのためです。
先輩ママさんが使っていて、家にお邪魔した時に音も静かでインテリアの邪魔にもならず、掃除も簡単だと聞いて、同じものを買いました。 もしまた誰かが空気清浄機を探していたら、これをオススメします。
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そして、空気清浄機の加湿機能が不十分だったら使うかもと思っていてしまったままにしていた加湿器。結局、空気清浄機の加湿機能で十分加湿できたので、使っていません。
今年買ってまだ数ヶ月しか使っていないので、近々リサイクルショップに持って行って手放そうと思います。
まとめ。
ミニマリストと名乗っていても、今回のように数点のいらないものが出てきました。年末年始は、スッキリしたい!という欲が1年で1番強くなる時期だと思います。
いつもなら手放すことに躊躇してしまうようなものも、この年末年始に見直してみてはいかがでしょうか。